大英博物館

世界を代表する博物館の1つで、世界最大の博物館のひとつです。世界の珍しい展示品が700万点ほど収蔵されていて、そのうちの15万点ほどが展示されています。非常に規模の大きな博物館なので、1日で見終える事が難しいと言われています。来場者の半分以上が外国人と言われていて、外国語の案内も出ています。



常設部分は無料で公開されていて、気軽に中に入って展示品を見る事が出来ます。かつての大公開時代から世界中に軍隊を送り込んだイギリスによって、世界から略奪されてきた品々も数多くあり、それらの国々から返還請求が出されるなどしています。日本のものは数が少ないので、日本の企業と協力して日本部分が作られています。

ピカデリー・サーカス(Piccadilly Circus)

ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)はロンドンのウェストミンスター区ウエスト・エンドにある小さな広場の名称の事を指しています。商店の立ち並ぶ大通りであるピカデリーとリージェント・ストリートの接続地点として1819年に建設され、現在ではシャフツベリー・アベニュー、ヘイマーケット、コヴェントリー・ストリートおよびグラスハウス・ストリートもこの地点で合流しています。

ウエスト・エンド地区の中心に位置しており、主な小売店や劇場を始めとするエンターテインメント施設が密集しています。観光客や買い物客、そしてバスやタクシー、自動車が集まり、広場近辺は常に混雑しています。 ピカデリーサーカスは広場北側ビルの大きな街頭ディスプレイおよびネオンサインが有名であり、「エロス」の名で知られている噴水もあります。広場の周りにはロンドン・パビリオンやクライテリオン・シアターといった歴史的な建造物も多くあります。広場の直下はロンドン地下鉄ピカデリー・サーカス駅になっています。

リージェント・ストリート (Regent Street)

リージェント・ストリート (Regent Street)はロンドン中心部、ザ・マルからピカデリー・サーカスとオックスフォード・サーカスを経て、All Souls教会までを繋ぐ、弧を描く美しい曲線が特徴の大通りの名称です。ロンドン有数のショッピング・ストリートとして、オックスフォード・ストリートやボンド・ストリートと並んで、世界的に有名な通りとなっています。最寄り駅は南側のピカデリー・サーカス駅または北側にあるオックスフォード・サーカス駅となっています。
 
この大通りは19世紀初頭に産業革命が起こった時のロンドンの人口増加を受けて、ロンドンの中心がシティから次第に西へ拡大した時に計画されたものです。リージェント・ストリートは大規模な都市計画の先駆で、ジョルジュ・オスマンによるパリ改造にも影響を与えたと言われています。
 
なお、このリージェント・ストリートは当初から大規模なショッピング・ストリートとして設計されているので、居住スペースが設けられたことがありません。リージェント・ストリートのすべての土地・建物は、イギリス王室の不動産を管理する会社であるCrown Estate社が独占管理している。

セント・マーティン教会

18世紀に建てられたSt. Martin in the Fields(セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ)は、トラファルガー広場の北東側、国立ポートレート・ギャラリーの目の前にある教会です。このトラファルガー広場、国立ポートレート・ギャラリーはいずれもロンドンで有数の観光地ですので、セント・マーティン協会も立ち寄っていくのがよいでしょう。

ナショナル・ギャラリー

ザ・ナショナル・ギャラリー(The National Gallery)は、ロンドンにある美術館です。トラファルガー広場に面し、イタリア・ルネサンス、オランダ絵画などの充実したコレクションで知られます。大英博物館と同様に無料出来るので観光客に大人気のスポットでもあります。
 
1824年にJ.J.アンガースタインの遺贈したコレクションをもとに開設された。設立された当初の所蔵絵画はわずか38枚だったという。当初はアンガースタインの邸宅を改装してギャラリーとしていたが、ウィリアム・ウィルキンソンの設計による現在の建物に移転したのは1838年のことです。1991年に完成したセインズベリー棟(設計はスコット・ブラウン&アソシエーツのロバート・ヴェンチューリ)など何度か拡張工事を経ています。
 
ナショナルギャラリーに初めて行く方は、ガイドツアーに参加する事をお勧めします。ツアーは毎日午前11時30分と午後2時30分にスタートします。集合場所はセインズベリー棟のインフォーメーション・デスク前で、所要時間は約1時間です。

トラファルガー広場(Trafalgar Square)

トラファルガー広場(Trafalgar Square)は、ロンドンのウェストミンスターに存在する広場です。1805年のトラファルガーの海戦を記念して造られたものです。当初はウィリアム4世広場という名前だったが、建築家のGeorge Ledwell Taylorの提案によってトラファルガー広場となりました。

トラファルガーの名は海戦があったスペインのトラファルガル岬に由来するが、元々はスペインに進出したアラビア人がタアリフ・アルガル(洞窟の岬)とアラビア語で呼ばれていました。この広場は、エドワード1世の時代には王家の厩でした。1820年代にジョージ4世が建築家のジョン・ナッシュにこの地域の再開発を依頼して原型が作られ、1845年に現在の形となりました。またこの広場は政治演説をする人が多いことでも有名で、週末には何らかの集会が行われていることが多いです。

中央に噴水のある広いスペースで出来ておりナショナル・ギャラリーの入り口へ続く階段がある。以前は噴水周辺は四方を道路に囲まれていたが、ミレニアムを記念したさまざまなロンドン改造工事の一環として、建築家ノーマン・フォスターの監修で道路の一つがふさがれ、ナショナル・ギャラリーから噴水までが大きな広場となった。

アドミラルティ・アーチ

バッキンガム宮殿から正面大通りにあたるザ・マルをひたすら歩くと、白い立派なゲートが見えてきます。宮殿の正面玄関門にあたるアドミラルティ・アーチ(Admiralty Arch)/海軍門です。

1911年に、ビクトリア女王を讃えて造られた凱旋門ですが、近くに海軍省(アドミラルティー)が有ったのでこの名前になったようです。中央には、アーチ(門)が3つほど見られますが、真ん中の門はエリザベス女王専用の門となっており、女王が通る時になると開かれます。

イングランド銀行(the Governor and Company of the Bank of England)

イングランド銀行(the Governor and Company of the Bank of England)は、イギリスの中央銀行です。イングランド銀行は、スコットランド人のウィリアム・パターソンにより当時大同盟戦争(ファルツ継承戦争)下にあったイングランド王国の軍事費を資金する目的で1694年に創設され、イングランド王国政府の銀行として同年7月27日のウィリアム3世・メアリー2世の勅令により認可されたのが起源です。

初代総裁はジョン・フビロンでした。これは、名誉革命によって国王となったウィリアム3世治下のイングランドがオランダ財政に学んだ結果です。当時、同銀行の設立に加えて、証券市場の成立などの改革も進められました。

銀行業界の規制・監督は、1998年から金融サービス機構(FSA)に移行しています。また1997年からは、金融政策委員会が政策金利など金利設定の責任を有しています。スコットランドと北アイルランドの通貨発行権はその地域の銀行が保有していますが、イングランド銀行に通貨発行額とほとんど同額の預け入れを義務付けられている事で通貨のコントロールを行っています。

旧王立取引所(Royal Exchange Bank London)

1566年ロンドンに取引所が設立され、1571年に王立取引所と改称されています。以前はその名前の通りに商品の取引所として機能していましたが、現代的な設備が必要になった事に伴って、取引所機能は移転されて、現在は高級ショッピングモールとして利用されています。隣には、イングランド銀行博物館があります。

現在のロンドン証券取引所は、エリザベス女王認可の基で1967年に完成して、1972年に取引がスタートされたものです。現在の証券取引所は、231フィートの高さを誇る26階建てを誇るロンドン有数の高層ビルとなっています。

ロンドン大火記念碑

ロンドン大火(The Great Fire of London)は、1666年9月2日(日曜日)から9月5日(水曜日)まで、ロンドンを焼き尽くした大火災です。13000以上の家と87個の教会など市の主要なものをほとんど焼き尽くしました。しかし、災害の規模の大きさと異なって、幸運な事に死者は数名にとどまったと記録されています。しかし、これは貧しい人や中流階級が死者としてカウントされなかったからという説もあり、はっきりとした死者の数は分かっていません。

ロンドン大火の場所としては、St. Paul's Cathedralを中心としたTower of Londonの西側であるとされています。当時は、Tower of Londonから西側に町を囲むように城壁があり、ロンドン大火ではこの城壁の内部がほとんど焼けてしまっています。当時は木製の家屋が大半であり、この事が火災が広がる原因となったと考えられています。ロンドンには当時50万人ほどの人が住んでいたと考えられていますが、ロンドン大火では、そのうち7-8万人の人が家を失ったとされています。

ロンドン橋(London Bridge)

ロンドン橋(London Bridge)は、ロンドンを流れるテムズ川にかかる橋で、タワーブリッジとキャノン・ストリート鉄道橋の間に位置しています。見た目は何とも無い橋ですが、歴史的にここにずっと「ロンドン橋」として橋がかかっていた事から世界的にも有名です。

ロンドン橋落ちた(London Bridge is falling down)という民謡にもなっているほど頻繁に流されたり、落ちたり、嵐で破壊されたりした事で有名です。ナーサリー・ライムズ (Nursery Rhymes)という英国のおとぎ話の中で作者の特定出来ない民謡マザー・グース(Mother Goose)の中で特に有名なものが「ロンドン橋落ちた」です。

ゴールデン・ハインド号

1577年に建造され、当初はペリカンという名がついていた。フランシス・ドレークの乗艦となり、世界周航を行った際に出資者であるクリストファー・ハットン卿の紋章にちなんでゴールデン・ハインドと改名された。世界周航の際にはスペインの貨物船を襲撃して相当の財宝を強奪しており、出資者には相応の配当が渡された。

シェークスピア・グローブ座

劇場で演劇などの演目を見る事ができますが、ほとんどの演目が売り切れてしまうので、事前予約をしておくべきでしょう。劇場を案内付きで一周するツアーなどもあります。しかし、当然のように全て英語で行われますので、英語が出来ないとあまり面白くないかもしれません。
 
詳細は、ホームページの方にも掲載されているので、訪問したい方は、先にホームページで調べてから行くことをお勧めします。
 
シェークスピア・グローブ座

テート・モダン

テート・モダンは、もともと火力発電所として利用されていた建物を内部をリフォームして現代美術館として再オーぽうんしたものです。1900年から今日までの国際的な現代美術を展示しています。ロンドンの代表的な美術館の1つとなっています。
 
かなり有名な画家の作品も展示されていて、ピカソ (Picasso) 、ウォーホール (Warhol) 、ダリ (Dalí) などがあり、常設コレクションへの入館は無料ですまた、美術館はそのときどきの展覧会も催し、主な現代美術者や美術活動の作品を展示しています。
 
開館時間
日曜日~木曜日 10:00~18:00
金曜日と土曜日 10:00~22:00
休館日:12月24日、25日、26日
 
ウェブサイト

ミレニアム・ブリッジ

2000年6月にイギリスだけでなく世界的にも著名な建築家のノーマン・フォスターがコンペで優勝した作品である「ミレニアムブリッジ」がオープンされました。しかし、実際にオープンして多くの人が通行してみると、激しい横揺れが起こって僅か3日で閉鎖される事になりました。
 
閉鎖されてから2週間を経た6月中旬頃に東大の藤野陽三教授にArupという世界有数の設計コンサルタントの技術開発部長のマイクさんという電話が入りました。横揺れの専門家である藤野陽三先生の論文(1990年の日本の事例を1993年にイギリスの論文で紹介)を見て、1999年に開通したパリの歩道橋でもアドバイザーをした藤野先生の意見を聞きたいという事でした。7月に1度様子を見るために訪問して、現地の担当者と意見を交わします。
 
それから9月には、日本の石川島播磨重工(IHI)のエンジニアの方と2人で再びロンドンに入っています。先生の言葉は印象的で「テクニカルな議論の場では,ポスト上での上下は全く関係なく,若い人も年上の人も対等に議論していたことでした.若い人が伸び伸びとしているとの印象も持ちました」という事です。

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