シャーロック・ホームズ博物館

シャーロック・ホームズは1854年1月6日生れだと言われています。彼の名は1世紀以上もの間に世界中に知れ渡るようになりました。名前が知れ渡っただけではありません、彼の“風貌”もまた、知られるようになりました。鷹を思わせるような顔つき、鋭い目つき、彼が身にまとう部屋着とパイプ、ディアストーカーと拡大鏡。これらの細かな点は、もし彼が今日私たちの前に現れたら、一目見てシャーロック・ホームズだと分かるだろうというほど、お馴染みの姿となりました。しかしながら、彼はいまだに謎の多い人物で、彼が解決を試みた犯罪と同じくらい謎に包まれています。そして、その多くの伝説ゆえ、しばしば幻想から現実を切り離すことが難しくなっています。
 
サー・アーサー・コナン・ドイルの書いた小説によると、シャーロック・ホームズとワトソン博士は1881-1904年の間、ベーカー街221bにあるヴィクトリア朝の下宿屋に住んでいたとあります。その建物は1815年に建てられ、現在政府が保護する文化的建築物としてリストされています。
 
そこは今ではシャーロック・ホームズの時代と生活をお見せするための博物館として公開されており、その内部は後世のために、まさに小説の描写通りに忠実に保存されています。

リージェンツ・パーク (The Regent's Park)

リージェンツ・パーク (The Regent's Park) はロンドン北部にある王立公園 (Royal Park)です。公園はウエストミンスター区とカムデン区にまたがり、総面積は約500エーカー (約2.0平方キロメートル)と非常に大きなものです。公園内には400種類、30,000本以上の薔薇が咲く庭園、野外劇場、運河、スポーツ施設、学校などがあります。朝5時から日没までオープンしており、もちろん入園は無料です。
 
リージェンツ・パークには長さ4.3キロメートルの外周道路 (アウター・サークル)とより小さい内周道路 (インナー・サークル)の2つの円周道路があり、インナー・サークル内には公園の核であるクィーン・メアリー・ガーデンが設置されています。この2つのサークルを繋ぐ道路以外は敷地内のすべての道路が歩行者専用となっており、その為公園内はゆったりとしています。公園の南側、東側そして西側の大部分はトラファルガー広場やリージェント・ストリートも設計したジョン・ナッシュのデザインによるスタッコ塗りの白いテラス式住宅が立ち並んでおり、優雅な空間が作り出されています。公園の北東側を占めるのは世界で最初の科学動物園で、オカピなどがいるロンドン動物園とロンドン動物学会であります。

マダム・タッソーろう人形館

マダム・タッソー館(Madame Tussauds)は、イギリスロンドンにある蝋人形館で、有名人の蝋人形を数多く展示している事からロンドンの主要な観光名所となっています。その歴史は1835年に蝋人形彫刻家マリー・タッソー(Marie Tussaud:1761-1850)がロンドンのベイカー・ストリートに創立して、1884年にメリルボン・ロードに移転したのが起源となっています。

ロンドンの蝋人形館が大人気になったので、アムステルダム、ベルリン、ハリウッド、香港、ラスベガス、ニューヨーク、上海、ワシントンD.C.、バンコクなどに分館を出展しています。映画で活躍する映画スター、政治家、ミュージシャン、芸人など世界の著名人が展示されています。

ロンドン塔

ロンドン塔(Tower of London)は、女王陛下の宮殿にして要塞(Her Majesty's Royal Palace and Fortress)などとも呼ばれているようで、かつてより要塞として使われてきました。歴史を遡ること1000年ほど前に、1066年にイングランドを征服したウィリアム1世が1078年にロンドンを外敵から守るために堅固な要塞の建設を命じて、本体は約20年で完成したのが起源となっています。

現在もイギリス王室が宮殿や儀式として使用していますが、既にイギリスを象徴するロンドン観光地としての人気スポットとして確立されており、観光客が押し寄せてきています。内部にある建物の幾つかは、観光客の為に様々な展示物を行っています。最も有名なのは、世界最大のダイヤモンド「偉大なアフリカの星」でしょう。1988年にはユネスコ世界文化遺産にも登録されています。

タワー・ブリッジ

タワー・ブリッジ (Tower Bridge) は、イギリスのロンドン市内を流れるテムズ川に架かる跳開橋で、船が通る時に橋を上げる事が出来ます。可動部分は初期の頃水力を利用して開閉していましたが、現在は電力を利用しています。 19世紀後半、イーストエンド・オブ・ロンドンの商業発展のためロンドン橋の下流に新たな橋が求められた。しかし、ロンドン橋とロンドン塔の間にプール・オブ・ロンドンが存在しており、入港の障害となることを避けるため固定された橋の建設はできませんでした。

この問題を解決するために1876年に設立された委員会は、デザインの公募を行って、テムズ川を横断する方法を模索しました。1884年に都市建築家であるホーレス・ジョーンズ(Horace Jones)の設計が承諾されて橋が1886年に着工1894年に完成しました。

軍艦ベルファスト号

1938年に進水したこの戦艦ベルファスト号は、軽巡洋艦として最も強力で、第二次世界大戦中に活躍したこの型の船で、唯一現存している軍艦です。退役後の1971年に陳列艦として大英帝国戦争博物館分館となっています。

タウン級軽巡洋艦はワシントン海軍軍縮条約によって排水量が10,000トン未満に制限されました。本来の設計では4連装6インチ砲塔を装備する予定でしたが、建造上の問題によって同級初期の艦には改良型3連装砲塔が装備されました。この砲塔は設計案よりも軽量であったので、節約できた重量は船体装甲および対空兵装に回されて協力な装甲となりました。

戦争の初期にドイツの潜水艦の攻撃を受けましたが修理されて、1952年の終戦に至るまで活躍を続けました。第二次世界大戦の戦艦シャルンホルスト攻撃戦、ノルマンディー上陸作戦、朝鮮戦争にも参加しており、建造から27年を経た1965年に退役しました。

ベルファスト号は、1971年のトラファルガー・デイに初の一般公開となりました。それ以来、ロンドンテムズ河の人気ある観光名所の1つとなっています。観光客は、内部にも入る事が出来るようになっていて、かつて実際に使われていた戦艦の中を見て回る事が出来ます。

ロンドン交通博物館

ロンドン交通博物館(London Transport Museum)は、ロンドンの隠れ博物館スポットです。鉄道ファン、乗り物ファンには是非とも行きたい場所のひとつでもあります。この場所は、ホテル・ザ・サボイも近いので、アフタヌーンティのついでに交通博物館に立ち寄るのも良いと思います。

世界で最初に産業革命を達成して蒸気機関車などを開発したイギリスは、乗り物においても常に世界の最先端国であったと言えます。ここの展示物で特に注目したいのは、Tubeで使われていた鉄道車両です。世界に先駆けて地下鉄が開通したロンドンですが、当時使っていたTubeを現在でもそのまま使っているので、非常に狭い車内で息苦しいのがロンドンです。

大英博物館

世界を代表する博物館の1つで、世界最大の博物館のひとつです。世界の珍しい展示品が700万点ほど収蔵されていて、そのうちの15万点ほどが展示されています。非常に規模の大きな博物館なので、1日で見終える事が難しいと言われています。来場者の半分以上が外国人と言われていて、外国語の案内も出ています。



常設部分は無料で公開されていて、気軽に中に入って展示品を見る事が出来ます。かつての大公開時代から世界中に軍隊を送り込んだイギリスによって、世界から略奪されてきた品々も数多くあり、それらの国々から返還請求が出されるなどしています。日本のものは数が少ないので、日本の企業と協力して日本部分が作られています。

ピカデリー・サーカス(Piccadilly Circus)

ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)はロンドンのウェストミンスター区ウエスト・エンドにある小さな広場の名称の事を指しています。商店の立ち並ぶ大通りであるピカデリーとリージェント・ストリートの接続地点として1819年に建設され、現在ではシャフツベリー・アベニュー、ヘイマーケット、コヴェントリー・ストリートおよびグラスハウス・ストリートもこの地点で合流しています。

ウエスト・エンド地区の中心に位置しており、主な小売店や劇場を始めとするエンターテインメント施設が密集しています。観光客や買い物客、そしてバスやタクシー、自動車が集まり、広場近辺は常に混雑しています。 ピカデリーサーカスは広場北側ビルの大きな街頭ディスプレイおよびネオンサインが有名であり、「エロス」の名で知られている噴水もあります。広場の周りにはロンドン・パビリオンやクライテリオン・シアターといった歴史的な建造物も多くあります。広場の直下はロンドン地下鉄ピカデリー・サーカス駅になっています。

リージェント・ストリート (Regent Street)

リージェント・ストリート (Regent Street)はロンドン中心部、ザ・マルからピカデリー・サーカスとオックスフォード・サーカスを経て、All Souls教会までを繋ぐ、弧を描く美しい曲線が特徴の大通りの名称です。ロンドン有数のショッピング・ストリートとして、オックスフォード・ストリートやボンド・ストリートと並んで、世界的に有名な通りとなっています。最寄り駅は南側のピカデリー・サーカス駅または北側にあるオックスフォード・サーカス駅となっています。
 
この大通りは19世紀初頭に産業革命が起こった時のロンドンの人口増加を受けて、ロンドンの中心がシティから次第に西へ拡大した時に計画されたものです。リージェント・ストリートは大規模な都市計画の先駆で、ジョルジュ・オスマンによるパリ改造にも影響を与えたと言われています。
 
なお、このリージェント・ストリートは当初から大規模なショッピング・ストリートとして設計されているので、居住スペースが設けられたことがありません。リージェント・ストリートのすべての土地・建物は、イギリス王室の不動産を管理する会社であるCrown Estate社が独占管理している。

セント・マーティン教会

18世紀に建てられたSt. Martin in the Fields(セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ)は、トラファルガー広場の北東側、国立ポートレート・ギャラリーの目の前にある教会です。このトラファルガー広場、国立ポートレート・ギャラリーはいずれもロンドンで有数の観光地ですので、セント・マーティン協会も立ち寄っていくのがよいでしょう。

ナショナル・ギャラリー

ザ・ナショナル・ギャラリー(The National Gallery)は、ロンドンにある美術館です。トラファルガー広場に面し、イタリア・ルネサンス、オランダ絵画などの充実したコレクションで知られます。大英博物館と同様に無料出来るので観光客に大人気のスポットでもあります。
 
1824年にJ.J.アンガースタインの遺贈したコレクションをもとに開設された。設立された当初の所蔵絵画はわずか38枚だったという。当初はアンガースタインの邸宅を改装してギャラリーとしていたが、ウィリアム・ウィルキンソンの設計による現在の建物に移転したのは1838年のことです。1991年に完成したセインズベリー棟(設計はスコット・ブラウン&アソシエーツのロバート・ヴェンチューリ)など何度か拡張工事を経ています。
 
ナショナルギャラリーに初めて行く方は、ガイドツアーに参加する事をお勧めします。ツアーは毎日午前11時30分と午後2時30分にスタートします。集合場所はセインズベリー棟のインフォーメーション・デスク前で、所要時間は約1時間です。

トラファルガー広場(Trafalgar Square)

トラファルガー広場(Trafalgar Square)は、ロンドンのウェストミンスターに存在する広場です。1805年のトラファルガーの海戦を記念して造られたものです。当初はウィリアム4世広場という名前だったが、建築家のGeorge Ledwell Taylorの提案によってトラファルガー広場となりました。

トラファルガーの名は海戦があったスペインのトラファルガル岬に由来するが、元々はスペインに進出したアラビア人がタアリフ・アルガル(洞窟の岬)とアラビア語で呼ばれていました。この広場は、エドワード1世の時代には王家の厩でした。1820年代にジョージ4世が建築家のジョン・ナッシュにこの地域の再開発を依頼して原型が作られ、1845年に現在の形となりました。またこの広場は政治演説をする人が多いことでも有名で、週末には何らかの集会が行われていることが多いです。

中央に噴水のある広いスペースで出来ておりナショナル・ギャラリーの入り口へ続く階段がある。以前は噴水周辺は四方を道路に囲まれていたが、ミレニアムを記念したさまざまなロンドン改造工事の一環として、建築家ノーマン・フォスターの監修で道路の一つがふさがれ、ナショナル・ギャラリーから噴水までが大きな広場となった。

アドミラルティ・アーチ

バッキンガム宮殿から正面大通りにあたるザ・マルをひたすら歩くと、白い立派なゲートが見えてきます。宮殿の正面玄関門にあたるアドミラルティ・アーチ(Admiralty Arch)/海軍門です。

1911年に、ビクトリア女王を讃えて造られた凱旋門ですが、近くに海軍省(アドミラルティー)が有ったのでこの名前になったようです。中央には、アーチ(門)が3つほど見られますが、真ん中の門はエリザベス女王専用の門となっており、女王が通る時になると開かれます。

イングランド銀行(the Governor and Company of the Bank of England)

イングランド銀行(the Governor and Company of the Bank of England)は、イギリスの中央銀行です。イングランド銀行は、スコットランド人のウィリアム・パターソンにより当時大同盟戦争(ファルツ継承戦争)下にあったイングランド王国の軍事費を資金する目的で1694年に創設され、イングランド王国政府の銀行として同年7月27日のウィリアム3世・メアリー2世の勅令により認可されたのが起源です。

初代総裁はジョン・フビロンでした。これは、名誉革命によって国王となったウィリアム3世治下のイングランドがオランダ財政に学んだ結果です。当時、同銀行の設立に加えて、証券市場の成立などの改革も進められました。

銀行業界の規制・監督は、1998年から金融サービス機構(FSA)に移行しています。また1997年からは、金融政策委員会が政策金利など金利設定の責任を有しています。スコットランドと北アイルランドの通貨発行権はその地域の銀行が保有していますが、イングランド銀行に通貨発行額とほとんど同額の預け入れを義務付けられている事で通貨のコントロールを行っています。

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