十勝岳


十勝岳(とかちだけ)は、北海道の中央部の上川管内の美瑛町・上富良野町、十勝管内の新得町にまたがる標高2,077mの活火山。大雪山国立公園内の十勝岳連峰(十勝火山群)の主峰である。日本百名山及び花の百名山に選定されている。 十勝川(トカプチ)の源流であることが、山名の由来とされている。山頂の西北西の前十勝にある62-Ⅱ火口からは盛んに噴煙が上がり、山頂付近は火山灰に覆われている。十勝岳避難小屋と山頂の中間には昭和火口、西の三段山の南には安政火口がある。 火山活動 形成過程 十勝火山群は新生代第三紀末に起こった大規模な火山活動による火山岩、さらに第四紀前期、約100万年前ころまでに噴出した流紋岩・デイサイト質溶結凝灰岩などが、約1,200mの標高で広大な基盤岩を形づくった。 約50万年前から、まず南西部で前富良野岳・富良野岳など苦鉄質安山岩質成層火山が現れた。次いで北東部の美瑛岳・オプタテシケ山・上ホロカメットク山など安山岩質の成層火山が形成されたのち、現在の十勝岳の主体をなす安山岩質の溶岩円頂丘が生じた。

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日本百名山

御岳山または御嶽山(おんたけさん、みたけさん、みたけやま、みたきさん、みだけやま、おたけやま)とは、以下の日本の山の事である。山頂に御岳神社(御嶽神社)がある山がある。 参考文献 『日本山名辞典』 三省堂、2004年、ISBN 978-4385154046 関連項目 東京都大田区にある駅は御嶽山駅を参照 御嶽。

水晶岳(すいしょうだけ)は富山市南東部に位置する標高2,986mの飛騨山脈(北アルプス)の山である。山域は中部山岳国立公園に指定され、日本百名山に選定されている。 別名は、黒岳。 黒部川源流部での最高峰及び富山市の最高地点である。標高3,000m未満の山としては、2,999mの剱岳に次ぐ高さの山である。山頂は切り立った岩の双耳峰で、三等三角点(点名は水晶山、所在地は富山県富山市大字有峰字黒部谷割10)のある北峰は2,977.7m 測定点である南峰は2,986mである。東斜面にはすり鉢状の圏谷地形(カール)がある。 山の上部は森林限界のハイマツ帯で、山頂の岩場からは飛騨山脈の大部分の山を見渡すことができる。南西に黒部五郎岳の圏谷地形を正面から望むことができ、北側に赤牛岳の赤い岩肌を望むことができる。 山名の歴史と由来 山の上部で水晶が採取されることが山名の由来であり、山肌が黒いことが別名の由来である。水晶小屋があるピークの山は、山肌が赤いことから「赤岳」と呼ばれることがある。 戦国時代末期以後の加賀藩政時代より、奥山廻りが毎年のように山頂を踏み、縦走してこれを記録に書きとどめ、詳細な地図まで作成していた。

大峰山(おおみねさん)は奈良県の南部にある山。現在では広義には大峰山脈を、狭義には山上ヶ岳(さんじょうがたけ)をさしていう。歴史的には、大峰山は大峰山脈のうち山上ヶ岳の南にある小篠(おざさ)から熊野までの峰々をさす。対して小篠から山上ヶ岳を含み尾根沿いに吉野川河岸までを金峰山という。 この一帯は1936年(昭和11年)、吉野熊野国立公園に指定され、さらに2004年(平成16年)7月、ユネスコの世界遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」の文化的景観を示す主要な構成要素として史跡「大峯山寺」、史跡「大峯奥駈道」ほかが登録された。 吉野から熊野に至る大峯奥駈道は、古来よりの自然信仰と渾然一体となった渡来の神仙思想や道教や仏教の修行のために、藤原や平城の都からこの地を訪れた僧侶(修験者)によって切り開かれたことに始まった。熊野修験が勢力を伸ばす中で長久年間(1040年 - 1044年)に修験者(義叡、長円)により熊野から吉野までの大峯奥駈道が体系付けられた。

美ヶ原(うつくしがはら)は、八ヶ岳中信高原国定公園北西部にあり、長野県松本市、上田市、小県郡長和町にまたがる高原。日本百名山の一つ。 フォッサマグナ西縁近くに噴出した第四紀の火山である。 かつては楯状火山とその溶岩台地と考えられてきたが、現在は安山岩質の組成を持つ火山の浸食地形と解釈されるようになった。最高峰は、王ヶ頭(2,034m)。他に、王ヶ鼻(2,008m)、茶臼山(2,006m)、牛伏山(1,990m)、鹿伏山(1,977m)、武石峰(1,973m)といったピークがある。山頂付近は平坦な台地状の地形で、美ヶ原牧場と呼ばれる牛の放牧地となっている。 長野県のほぼ中央に位置し、県内の広範囲を見渡す事ができる。このことから各種、放送・通信の要衝となっている。 開発の歴史 古来、松本周辺の人々によって東山または王ヶ鼻と呼称されてきた。 美ヶ原という呼称について、文献上の初見は『信府統記』であるとされる。定着したのは、1921年(大正10年)に木暮理太郎が、日本山岳会の会報『山岳』に登山の記録を載せてからである。

立山(たてやま)は日本の飛騨山脈(北アルプス)北部、立山連峰の主峰で、中部山岳国立公園を代表する山の一つである。雄山(おやま、標高3,003 m)、大汝山(おおなんじやま、標高3,015 m)、富士ノ折立(ふじのおりたて、標高2,999 m)の3つの峰の総称である。雄山のみを指して立山ということもあるが、厳密には立山連峰に立山と称する単独峰は存在しない。剱岳とならび、日本では数少ない、氷河の現存する山である。 「立山」は単なる地理的な名称ではなく、室堂や地獄谷、弥陀ヶ原、立山カルデラという立山一体を含んだ地理的な広がりと、立山信仰や遥拝登山など精神的な広がりを含んだ複合的な意味を持っている。雄山・浄土山・別山を「立山三山」と呼び、その周辺の山々と合わせて狭義の「立山連峰」ということがある。広義で「立山連峰」という場合は僧ヶ岳から黒部五郎岳の辺りまでを呼ぶこともある。古くは、三俣蓮華岳から猫又山に至るまでを立山七十二峰と呼んだという。これとは別に立山火山がある。室堂山、浄土山、国見岳辺りを最高地点としている。かつて山体は立山カルデラにあり、元の立山火山の山頂部は侵食で喪失している。

開聞岳(かいもんだけ)は、鹿児島県の薩摩半島の南端に位置する標高924mの火山。1964年(昭和39年)3月16日に、霧島屋久国立公園に指定された 。日本百名山、新日本百名山及び九州百名山に選定されている。山麓の北東半分は陸地に、南西半分は海に面しており、見事な円錐形の山容から別名薩摩富士とも言う。所在地は鹿児島県指宿市。 4,000年前頃活動を開始し、有史以降の噴火記録は6世紀ごろからあり、貞観16年3月4日(ユリウス暦874年3月25日)と仁和元年(885年)7月・8月に大噴火を起こした。このとき、山頂に溶岩円頂丘が噴出し、現在の二段式の山容となった。山体は主に粘性の少ない玄武岩だが山頂付近の溶岩ドームは安山岩でできている。 7世紀末頃の噴火による噴出物の堆積層は青コラ、9世紀末頃のそれは紫コラと呼ばれており、薩摩半島南部で広く見られる地層である。噴火の年代が分かっているので、発掘対象の遺跡の遺物がこれらの地層の上下どちらから出てくるかで、この時代の生活の変化などを知る重要な手がかりとなっている。

光岳(てかりだけ)は赤石山脈(南アルプス)南部の標高2,592 mの山である。日本百名山に選定されている。 富士山南斜面の同じ標高の地点(富士宮口六合目付近)よりも緯度にしてわずか10 秒、距離に換算して300 mほど南に位置し、2,500 mを超える山としては日本の最南端にある。国内には光岳より南にそれより高い地点はない。山頂部がわずかに森林限界を超えており、ハイマツおよび高山帯植生の分布の南限(ハイマツは世界最南端の自生地)及びライチョウの生息地の南限に当たることでも知られている。山の上部は、南アルプス国立公園内に指定されていて、その最南端の山である。南東部のツガなどの針葉樹林帯は1976年(昭和51年)3月22日に環境省により、「大井川源流部原生林自然環境保全地域」に指定されている。山頂のすぐ東には光小屋の山小屋があり、イザルガ岳との間のゼンジヶ原は二重稜線となっていて、周氷河地形の名残である窪地状の亀甲状土の地形が見られる。

瑞牆山(みずがきやま)は山梨県北杜市(旧北巨摩郡須玉町)にある標高2,230mの山で、奥秩父の山域の主脈の一つ。旧須玉町域の最北部にあたる。日本百名山のひとつ。 地理的・歴史的景観 「瑞牆」とは神社の周囲の垣根(玉垣)のことだが、山名の由来は山稜を三分割する「みつなぎ」の転訛説や、崖を意味する「がき」に由来する説などがある。江戸時代後期に成立した『甲斐国志』では、玉塁と呼ばれる金峰山に対し、瑞塁を呼び習わしたとする説が紹介されている。古くからの信仰の山で、洞窟には修験者の修行跡や刻字が残り、山頂の西峰には弘法岩があり、空海開山伝説も伝わる。 全山が黒雲母花崗岩で形成される。南西部は風化や浸食の影響を受け、独特の岩峰が聳える景観を作っており、地元ではコブ岩と呼ばれる。 近くに黒森鉱泉(含炭酸食塩泉)、増富温泉(信玄の隠し湯とする伝承をもつ、増富ラジウム温泉郷)がある 瑞牆山に関係する文学として、俳人の前田普羅(1884年 - 1954年)が1937年(昭和12年)1月17日に『東京日日新聞』紙上に発表した「甲斐の山々」の五句があり、その中に瑞牆山を詠んだ「茅枯れてみづがき山は蒼天に入る」の句がある。

谷川岳(たにがわだけ)は群馬・新潟の県境にある三国山脈の山である。日本百名山のひとつ。周囲の万太郎山・仙ノ倉山・茂倉岳などを総じて谷川連峰という。 頂部は二峰に分かれており、それぞれトマの耳(標高1,963m)、オキの耳(標高1,977m)と呼ばれる。元来この山はトマ・オキの二つ耳と呼ばれ、谷川岳の名は隣の俎嵒(マナイタグラ)に与えられていた。しかし、国土地理院の5万分の1地図の誤記のために、トマ・オキの二つ耳が谷川岳と呼ばれるようになってしまった。なお、トマの耳には薬師岳、オキの耳には谷川富士の別称がある。 広義には、一ノ倉岳などの周囲の山域も含めて「谷川岳」と呼ぶこともある。 一ノ倉沢などの谷川岳の岩場は、その険しさから剱岳・穂高岳とともに日本三大岩場の一つに数えられ、ロッククライミングの聖地となっている。また、山麓はスキーの聖地でもあり、谷川岳天神平スキー場は関東でも有名なスキー場のひとつ。冬場はスキー客と登山客が同じゴンドラで天神平を目指すことも少なくない。谷川岳ロープウェイ・天神平駅のそばにはレストハウスがある。

苗場山(なえばさん)は新潟県南部、長野県北東部の県境に位置する標高2,145mの火山。 苗場山は成層火山。山頂から南西方向に緩やかに傾斜し、山頂から北に向かう稜線の西側は侵食カルデラである。山頂南西側の平坦面には湿地が形成され、小さな湖沼が点在する。山頂の湖沼にはミヤマホタルイやヤチスゲが苗のように繁って苗代田のような外観を呈していることから、山名を「苗場山」としたとの説がある。ほか、古くは地震のことを「ナイ」と云い、古人は地震がこの山から起こると想像したための付名との説もある。古くから稲作の守り神としての信仰を集め、山頂には伊米神社が祀られている。日本百名山の一つで上信越高原国立公園に属する。 東側の山麓はスキーリゾートエリアとしても知られる。苗場山麓のスキー場としてはかぐらスキー場 (田代・かぐら・みつまた)があり(苗場スキー場は写真のように苗場山の山麓には位置しない)、上越国境地域のスキー場では滑走可能になる時期が早いことで有名。

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