帝国ホテル 東京


帝国ホテル 東京

帝国ホテル(Imperial Hotel)は、東京都千代田区内幸町にあるホテルである。運営者は、株式会社帝国ホテル。東京の他に大阪、上高地にある。日本を代表する高級ホテルのひとつであり、ホテルオークラ、ニューオータニとともに「(ホテル)御三家」と呼ばれることもある。帝国ホテルは1890年(明治23年)11月3日に落成、同7日に開業した。隣接する鹿鳴館と密接な関連を持ったホテルとして井上馨が渋沢栄一と大倉喜八郎の2人を説いて、1888年(明治21年)有限責任帝国ホテル会社(設立当初は有限責任東京ホテル会社)を設立させ建設したものである。

経営権は渋沢から大倉、そしてその死後は長男の大倉喜七郎へと引き継がれた。しかし戦後に、喜七郎が公職追放に遭った上に財閥解体によって大倉家の持ち株は放出[2]。代わって東京殖産の長田庄一から巨額の資金援助を受けた「北支の煙草王」こと金井寛人が1953年(昭和28年)に株式の多くを獲得して会長となる。 1977年(昭和52年)の金井の死後は、その全持ち株が小佐野賢治の国際興業に譲渡。2004年(平成16年)にはその国際興業がサーベラス ファンドに買収されるが、2007年(平成19年)10月に国際興業保有帝国ホテル株式の大半が三井不動産に売却され、現在は三井不動産が約33%を保有する筆頭株主となった。

1914年(大正3年)頃から、当時の総支配人だった林愛作は旧知のアメリカ人建築家、フランク・ロイド・ライトと新館設計の相談を重ね、1916年(大正5年)に契約を結んだ。翌1917年(大正6年)にライトは来日し、1919年(大正8年)9月、着工した。ライトは使用する石材から調度品に使う木材の選定に至るまで、徹底した管理体制でこれに臨んだ。 鷲が翼を広げたような巨大なホテルは、10のブロックをエキスパンションジョイントで繋ぎ合わせた構造になっており、これで建物全体に柔軟性を持たせるとともに、一部に倒壊があっても全体には累を及ぼさない仕組みになっていた。また大規模ホテルとしては世界で初めて全館にスチーム暖房を採用するなど、耐震防火に配慮した設計だった。

ライトの新館は1967年(昭和42年)に閉鎖され、翌年春頃までに取り壊された。跡地に建設された近代的外観の新本館は、1970年(昭和45年)の日本万国博覧会開会に合せて、同年に竣工した。 「ライト設計の帝国ホテル本館」は、「ライト館」として、人々の想い出の中に生き続けることになった。ライト館の玄関部分は博物館明治村(愛知県犬山市)に十数年の歳月をかけて移築再建され、今日でも在りし日の面影を偲ぶことができる。また、東武ワールドスクウェア(栃木県日光市)では実寸比25分の1のミニチュアで在りし日のライト館全景を再現している。2005年(平成17年)4月、新本館14階の「インペリアルフロア」に新設された「フランク・ロイド・ライト・スイート」は、ライト館のさまざまな箇所に施された独特なマヤ調の意匠やライト独自のスタイルでまとめられた内装や調度品を忠実に再現したものとなっている。

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