スターリングラードの戦いは、1942年6月28日 - 1943年2月2日にかけて行われたドイツ軍とソ連軍による戦闘です。
スターリングラードは元来ドイツ軍のブラウ作戦における副次的目標の一つに過ぎなかったが、戦略上の要衝の地であったことに加え、時のソビエト連邦最高指導者ヨシフ・スターリンの名を冠した都市でもあったことから熾烈な攻防戦となっていく事になりました。当初は、ドイツ軍・枢軸軍側の優位に進み、市街地の90%以上を占領したものの、最終的にはソ連軍側の反攻が圧倒し、ついには包囲されるに至ったドイツ第6軍を主軸とする枢軸合同軍が降伏。独ソ戦の趨勢を決し、第二次世界大戦の全局面における決定的な転換点のひとつとなりました。
死傷者数はソンムの戦いなどの第一次世界大戦の激戦を遥かに超える規模で、枢軸側が約85万人、ソビエト側が約120万人、計200万人が死傷したとされています。
特にスターリングラード『トラクター工場』は、中戦車T-34の主要生産拠点として重要な役割を果たしていました。ドイツ軍装甲部隊に対抗可能な2種の新型戦車のうち、中戦車T-34は『ハリコフ機関車工場』、重戦車KV-1はレニングラードの『キーロフスキー工場』が開発工場でしたが、このあたりの工場のほとんどは、ドイツ軍の進撃により疎開を強いられていました。
ドイツ軍の進撃。1942年5月から1942年11月にかけての前線の推移
狙撃兵は、なるべく高い階級の敵の将校に照準を合わせ、あるいは伝令や斥候、補給要員、工兵を集中的に狙いました。