日本の人身売買の歴史。貧困の農村部から売られて娼婦になった女性たち


かつての日本では、外国といったらひっくるめて唐(中国のこと)天竺(インドのこと)と呼んでいたので、外国に行くことは"唐行き"だったのです。ただ当時は"からゆきさん"という言い方はされず、醜業婦、賤業婦、密航婦、島原族、天草女などと新聞や本には出ています。

日本には室町時代から続く公娼制度(女性を廓に閉じ込める管理売春)があり、親が娘を売って、受け取った金で生計をたてていく風景は珍しくなかったのです。国が、そういう権限を親に認めていました。家や親兄弟のために苦界に身を沈める娘は親孝行、と世間はみるのが普通でした。

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